日記,2022/03/28-2022/04/27

2022/03/28

女性器ってかなりグロい。

 

お互いに別々のことをやっていて特に何も喋らないが、微かな物音から相手の存在をなんとなく感じるような通話が好きだ。

 

積もっても積もっても、雪。

 

2022/03/29

最近ずっと寝続けているが、来月からそんな生活も難しいだろうしと開き直って寝てばかりいる。

 

髪の毛をピンク色にそめているので、抜け毛もまたその色なのだが、ふとした瞬間に見かけるそれがなんとなしにかわいらしく、少し気分が明るくなる。

 

2022/03/30

タルタルソースに柴漬を刻んで入れると美味しいらしい。

 

畏怖する人間 柄谷行人

 

思いやりという概念について

 

“途轍もない花籠が空中にゆらめき、消え、中原の憔悴した黄ばんだ顔を見た。”

”晩春の暮方、二人は石に腰掛け、海棠の散るのを黙って見ていた。花びらは死んだ様な空気の中を、まっ直ぐに間断なく、落ちていた。樹陰の地面が薄桃色にべっとりと染まっていた。あれは散るのじゃない、散らしているのだ、一とひら一とひらと散らすのに、屹度順序も速度も決めているに違いない、何んという注意と努力、私はそんな事を何故だかしきりに考えていた。驚くべき美術、危険な誘惑だ、俺達にはもう駄目だが、若い男や女は、どんな飛んでもない考えか、愚行を挑発されるだろう。花びらの運動は果しなく、見入っていると切りがなく、私は、急に厭な気持ちになって来た。我慢ができなくなって来た。その時、黙って見ていた中原が、突然「もういいよ、帰ろうよ」と言った。私はハッとして立上り、動揺する心の中で忙し気に言葉を求めた。「お前は、相変らずの千里眼だよ」と私は吐き出す様に応じた。彼は、いつもする道化た様な笑いをしてみせた。“

 

”丁度雑踏する群衆の中でふと孤独を感ずる様に“

 

2022/03/31

就職祝いというのはまあ口実で、西荻窪にご飯を食べに行った。そこのご飯が本当に美味しくて、インスタにはここ一年と見栄を張ったが、ここ数年で食べたご飯の中でダントツに美味しかった。向こう一年ぐらいはここのご飯の美味しさをひきづって生きると思う。美味しかったなあ。本当に美味しかった。また行きたい。

 

私ってつくづく本当に心の底から人間が大好きだな!

 

運命に抗おうという意志こそが美しさだろう。運命論者の前ではそれすら効力を喪ってしまうのかもしれないが、本能に、生命に、運命に意志を持って抗い生きようとするものが、生命の閃きであると私は思いたい。

 

2022/04/01

“生きてゐる人間なんて仕方のない代物だな。何を考へてゐるのやら、何を言ひだすのやら、仕出かすのやら、自分の事にせよ、他人事にせよ、解つた例しがあつたのか。鑑賞にも観察にも堪へない。其処に行くと死んでしまつた人間といふものは大したものだ。何故あゝはつきりとしつかりとしてくるんだらう。まさに人間の形をしてゐるよ。してみると、生きてゐる人間とは、人間になりつゝある一種の動物かな”

無常ということ 小林秀雄

 

“歴史には死人だけしか現はれてこない、だから退ッ引きならぬギリギリの人間の相を示し、不動の美しさをあらはす、などとは大嘘だ。死人の行跡が退ッ引きならぬギリギリなら、生きた人間のしでかすことも退ッ引きならぬギリギリなのだ。もし又生きた人間のしでかすことが退ッ引きならぬギリギリでなければ、死人の足跡も退ッ引きならぬギリギリではなかつたまでのこと、生死二者変りのあらう筈はない。”

“生きてる人間といふものは、(実は死んだ人間でも、だから、つまり)人間といふものは、自分でも何をしでかすか分らない、自分とは何物だか、それもてんで知りやしない、人間はせつないものだ、然し、ともかく生きようとする、何とか手探りででも何かましな物を探し縋りついて生きようといふ、せつぱつまれば全く何をやらかすか、自分ながらたよりない。疑りもする、信じもする、信じようとし思ひこまうとし、体当り、遁走、まつたく悪戦苦闘である。こんなにして、なぜ生きるんだ。文学とか哲学とか宗教とか、諸々の思想といふものがそこから生れて育つてきたのだ。それはすべて生きるためのものなのだ。生きることにはあらゆる矛盾があり、不可決、不可解、てんで先が知れないからの悪戦苦闘の武器だかオモチャだか、ともかくそこでフリ廻さずにゐられなくなつた棒キレみたいなものの一つが文学だ。

 人間は何をやりだすか分らんから、文学があるのぢやないか。歴史の必然などといふ、人間の必然、そんなもので割り切れたり、鑑賞に堪へたりできるものなら、文学などの必要はないのだ。”

“然し、こゝに作家といふものがある。彼の読書は学ぶのだ。学ぶとは争ふことだ。そして、作家にとつては、作品は書くのみのものではなく、作品とは又、生きることだ。小林が西行や実朝の詩を読んでゐるのも彼等の生きた翳であり、彼等が生きることによつて見つめねばならなかつた地獄を、小林も亦読みとることによつて感動してゐるのだ。”

“自分といふ人間は他にかけがへのない人間であり、死ねばなくなる人間なのだから、自分の人生を精いつぱい、より良く、工夫をこらして生きなければならぬ。人間一般、永遠なる人間、そんなものゝ肖像によつて間に合はせたり、まぎらしたりはできないもので、単純明快、より良く生きるほかに、何物もありやしない。文学も思想も宗教も文化一般、根はそれだけのものであり、人生の主題眼目は常にたゞ自分が生きるといふことだけだ。“

教祖の文学,坂口安吾

 

読みたい本

・死霊, 埴谷雄高

悪徳の栄え, サド

セロトニン, ウェルベック

 

眼にて言ふ,宮沢賢治

 

2022/04/02

丸香にうどんを食べに行った。美味しかった。

 

iPadで絵の練習をしようと思ったらApple Pencilを紛失していた。仕方がないのでビッグカメラ に買いに行った。15,000円してかなり嫌な気持ちになった。帰って3ヶ月ぶりくらいに絵を描いたら少し上手くなっている気がした。

 

2022/04/03

友人とシェアルームの内見に行った。目当ての物件はシェアルームができず、代わりに出された物件はどれも微妙だった。それはそうと、私はかなりシェアルームがしたかったのだが、相手はそこまでの実現可能性を見出していなかった。こういうことをあと何度繰り返せばいいのだろうか。またね、の“また”は来る日がないことが大半である。

 

私はかなり信心深いと思う。ある種の宗教的人間なのかもしれない。

 

“あなたの人生の助けになることを願ってやみません。”

 

安吾の全集欲しい

 

面白かった動画 https://youtu.be/icn1a7SyBIQ

 

2022/04/04

春へ、あまり調子に乗るなよ。

 

ジラールの欲望の三角形

リースマン,孤独な群衆

ロバートkマートン 準拠集団論

 

意味 他人と自分の所有物の差異 消費の対象,コミュニケーションの対象

 

普段から多動だけどストレスを感じると多動が出やすい気がする。

 

最近外に出るとずっとお腹が痛い。乳酸菌飲料を飲もうかと思って近所のスーパーでずっとヤクルト1000を探しているのだが、いつも売り切れている。みんなお腹が痛いのかもしれない。

 

2022/04/05

最小限界差異 限界的特殊化

 

退勤後にwordleしながら屋上で吸うタバコがうまい。30分くらい時間を潰せば電車も空いているし、今の季節の夜は過ごしやすくていい。

 

上司の眉毛がとても綺麗だった。

 

面白かった動画https://youtu.be/Z5Aeq3UQs7U

 

最近眠れない。それがストレスでまた眠れなくなる無限ループを繰り返している。自分のTwitterを遡ると、大体天井を見つめているか不眠に苦しんでいた。歴史は繰り返すものらしい。

 

保険証がないので病院にすら行けない。私は資本主義社会の犬。

 

私は変わっているねとよく言われるのだが、これは甚だ遺憾である。私は変人などではなく、普通の輪郭をところどころに数ミリ外しているというのが関の山だろう。

最小限界差異とこの思っていることについて書こうと思ったのだが、疲れたからやめる。後日また書くかもしれない。

 

2022/04/06

ずっとお腹が痛いし眠れない。

 

人と喋ることは苦手でありまた同時に好きなのだが、本当になにかを話したい相手とは、一緒にいることに満足して黙ってしまうような気がする。あとから何か言いたいことを思い出して、ああそういえば、となることの多さたるや。とも思ったが、そもそも自分自身のパーソナルスペースが異常に広く、懐に入られると常に挙動不審になっているため、喋る余裕などないだけかもしれない。

 

人間と人間はどうしようもなく個物であり、器の内実に触れることは決して叶わない。対話と呼ばれるそれは、暗闇の中手を伸ばし、必死に他者の輪郭を探りなぞろうとする、人間の痛々しいほどに切実な行為の発露であるだろう。それは自分以外への誰かに対する祈りでさえある。

 

思想や思考は人間の最も美しい詩だと思う。

 

普通が1番強くてかっこいい

 

2022/04/07

破滅的に生き急いでいる気がする。ブレーキが壊れたまま急な坂道を下る自転車の気分。

 

今日もお腹が痛かった。夜もどうせ眠れないんだろう。

 

猫背は胎内回帰願望の顕れかもしれない。

 

何か納得のいかない話をしたときに、まあ女の子だからね、と返答されるのに納得がいかない。人が肉体的な平等を持ってさえいれば私は納得できただろうに、なぜ一方の性別が肉体的優位を持ち加害性があるために私がなにかを我慢しなければいけないのか。

男が心底羨ましい。染色体の文字列が一つ変わるだけで、彼らは生まれながらにして強者たりえるのだから。

 

約1ヶ月に1回非常にしんどい思いをしながら股から血を垂れ流すイベントを人は生理と呼ぶ。この生まれながらに与えられた理不尽な欠陥の意味が全く訳がわからないので、一時期子宮除去の手術を本気で検討していた。子宮がんなどの場合だと保険が下りるが、私費だとかなり費用が高いため諦めた。今は超低容量ピルの連続投与で、3カ月に1回生理を起こすようにしている。しかしこのピルも不正出血が起こりやすく、しんどくはないものの金魚の糞のごとくダラダラと少量の血が連日出ることがある。それはおいておいても、このピルは保険適用で1カ月2700円もする。薬代だけで1年で3万円超の出費であり、これに再診療や定期検診代を含めれば実際にかかる費用はもっと高い。私はこれを女に生まれてごめんなさい代と呼んでいるが、本当に訳がわからない。なぜ自分に子供を孕み排出する臓器がついているのかも、しんどさを我慢するか女税を納めるかの二択であるのかも、すべてすべてすべてすべて本当に本当に本当に、意味が全くわからない。私は私を生物学的に女たらしめんとするこのクソッタレな臓器が心底憎いし憎悪の対象でしかない。そして同時に、子供を宿す機能が自分自身に強制的に付与されていることに吐き気がする。

 

生命は喜ばしいものだなんて他人事だから言えるのだ。満員電車に乗っている最中に誰もそんなこと思わないだろう。

 

2022/04/08

なんとなく思い出したが、私は敬語でタメ語を併用するが、これにはちゃんとルールがある。自分に対する発話であったり、対する人間ではなく場(意図内容)への感想はタメ語で、呼びかける対象が明確にいる場合・意図されている場合には敬語になる。要するに、私は会話の中ででもかなり独り言を言うタイプで、その独り言に類する発話はタメ語によってなされ、対象を意図した発話は敬語によってなすというものである。

 

2022/04/10

久しぶりに眠れた。

 

私も私を好きでありたい。

 

生存戦略としての他者への愛。

 

“人に話した内容も誰に話したかも何を見たかもどこで見たかも誰と見たかも誰が何を言っていたかも何を読み何を思い何を食べて何をしていたかも何もかもが脳内で不定形にあやふやに溶け合って混然とした騒音となり頭痛となる、そんな毎日。“

 

2022/04/11

アツくて気持ち悪い、帰ったら風呂にすぐ入ろう......。

 

眠れなさすぎてワロタ

 

ストレスなのか軽躁状態なのかわからないけれども、明らかに過活動な今の状態が続くとかなりまずい気がする。

 

かなり毎日がどうでもよい。糸が切れたようにプツッと突然全部無かったことにしてほしい。

 

私にしては結構頑張った方だし。

 

ホモソがなによりも嫌い。

 

他人の評価軸で生きることがままならない人間だから、なにか自分をその軸で認識されるたび生きていてごめんねという気持ちになる。私は。なんでなんだろうか。

 

ずっと昔に母親に言われた言葉が今もずっと突き刺さって呪いになっている。今となってはもう確執などほぼないし、特に恨んだりもしていないが、あった色々なことや言われた色々なことは確実にドス黒いものを私に残した。今は一生懸命この呪いを解こうとしているが、その呪いが解ける日が、私が許される日が、誰かを許すことができる日が来るのかは全くわからない。その日が来るのを待ち続けるのは苦しいし痛いしどうにかなりそうで、もう全部どうでもいいやとそれでも生き延びていつか救われたいを繰り返してのたうち回りながらみっともなく生きている。

 

他人にタダ乗りして被害者ヅラだけは一人前にする自分が心底嫌いだ

 

人を過剰に信用したフリをするのに信用できないのには何個か理由があって、一つは高校生のときに誰にも黙っているという約束のはずだったカウンセラーにした話をすぐに担任にバラされ、そこから親にも直通だったこと。あとは大学一年のときの初めての恋人にセックスの内容を他の人に赤裸々に語られているのがわかったとき。登場人物全員死ね。

 

しんどい生き方をしているのは他ならぬ自分自身だが、周囲にいる人間もそれに巻き込まれてしんどい思いをしていると思う。

 

周りが男の人ばっかで常にストレスがかかる。正直男というだけで怖い。思い込みでしかないのかもしれないけれど、奴らはいつだって女の容姿や行動を評価する立場で、それは無自覚な暴力性で、そういうものに無神経に生きていることが心底憎い。

 

馴れ馴れしくしているだけでみんな透明な他人だ。そこには年月やら経験による絆の差異があるのは明白だけれども、家に土足で上がり込んでいるような気まずさや場違い感がずっとある。

 

2022/04/12

難しいことも将来のことも他の人の考えてることも心も何にも分からないし、私は一生かけて生きても幸せになれないんじゃないかという不安が常にあって、なんかもう全部嫌だし死にたいし、でも生きたいし心の底から笑っていたい。私だって幸せになりたいし許されたいし愛されたい。だけどもそれを願うということは、自分もまた誰かを幸せにして許し愛すということで、それってすごく難しいことなんじゃないか。何もわからない。みんなは幸せに生きているのだろうか。そうだといい。明日私が死んだならばせめて誰かに気づいてほしい。

 

高いジーンズほしい。予算3万円。

 

2022/04/13

自分で自分を変わっていると言う人間が苦手だ。

 

2022/04/15

気圧がやばすぎて会社を休んだ。たかだか気圧でしんどくなる体、あまりにも雑魚すぎるだろ。

 

私だけが頑張れていないし何もできない。強すぎる自己愛がすべてを邪魔している。

 

常に私は何かと戦って生きているらしい。ウケるな。

 

ウマ娘で目標達成できないと育成失敗...というリザルト画面が表示されてゲームが終了するが、常々私もこの表示がされている気がする

 

2022/04/16

ハイハワのカレーが美味しすぎてどこの店を食べに行ってもハイハワを思い出すし比べてしまう。元カレか?

 

2022/04/17

なんかもうそれがそれとしてある以上仕方がなくて、もうそれについてはなすすべがあまりにもないのだが、私が私としてある以上そうとしてすべてにあらがっていたいというか、もうそうするしかないような予感がする。それが私の生きた証としての最後の悪あがきだし、もうそれくらいしかすべきことを私は許されていなくて、せめて君には生きていて美しい道を歩んでほしいなと、ただそう思う。せめてそこに何か手助けができればいいのだが、全て私の自意識が邪魔している。君が思い悩み行き着いた先にただ美しさがありますように、救いがありますように、歩んできた道に正しさがそこにありますように、。

 

2022/04/19

カラオケ行きたい

 

2022/04/21

今日楽しかった!久しぶりに5、6時間眠れた

焼肉食べたい

 

2022/04/22

”天国まで繋がってるみたいな雨“

 

式日

Picnic

 

”GO“見た。良すぎる。

 

自己認識が犬だか猫だかだから人間界で苦労してる

 

2022/04/25

マインドゲーム見た。すごすぎ。

 

最近ここ3、4日は割とちゃんと寝れていて、なんとか精神も持ち直してきた気がする。それでもお腹痛くなったり一人になると涙が出てきたりする。なんとかなりますように。

 

多分私はもうこのままずっと死なないから覚悟を決めて生きていくしかないきっと。

 

2022/04/26

“哲学は祈りを拒否する祈りである”

 

2022/04/27

好きな人がインスタの親しい友達リストにいれてくれてうれしい。

 

図書館に行く途中ででっっっっかいアリがいた。