生きづらさと向き合う

自分の認知の歪みがあまりにひどいので、スキーマ療法を自分でやることにした。スキーマ療法は認知行動療法の発展版といったもので、たとえばうつ病、BPDや愛着障害などに用いられることが多い。私は触れていないので少し違うかもしれないが、少し前に流行ったブラッドショーインナーチャイルド』とかも同様な手法から、自身の生きづらさやトラウマからの解放を目指すものだ。

スキーマ療法自体は大学1年生の頃くらいから知っていたのだが、カウンセリング治療はとにかくお金がかかることと、認知を矯正していくということはかなり辛いものであるということから何と無く避けていた。(歯の矯正治療でさえ、かなりの痛みを伴うものであるのだから、幼少期やトラウマエピソードから生成された物の考え方・捉え方を正しく治すのに激痛を伴うことは想像に難くない。)

ともかく、なぜ今まで避けていたそのスキーマ療法を今さらやる気になったのかというと、2022/03/25に書いた日記の中で、自身の認知の歪みを再確認したというか、「あっ、普通の人ってこういう考えをそもそも抱かないし私が異常で病的なんだな」と改めて気づくことができたからだ。今月から始めただらだらと希死念慮について書いていることが多い日記でも、たまには役に立つらしい。

今回私が使用することにしたのは、「自分でできるスキーマ療法ワークブック Book1」,伊藤絵美,星和出版,2015.である。伊藤絵美さんはスキーマ療法の第一人者とでもいうべき人で、『スキーマ療法入門』等、いろいろな著書がある他、内容もかなりわかりやすいので、興味がある人は著作をよんでみてもいいかもしれない。

このワークブックは2冊組で、レッスンごとに何個かワーク(練習問題のようなもの)があり、それを自分で行なっていくという方式だ。例えば、レッスン1「生きづらさから回復しましょう」項、ワーク1-1は「生きづら」に気づきを向けるという主題から、次のような問いを提起する。

 

問い1. 自分は普段どういうことに悩みやすいか。

問い2. 「生きていくのは大変」「生きるのがしんどい」と感じるのはどんなときか。

問い3. 過去にどういったことで悩んだり苦しんだか。

問い4. これから先の人生について何が心配か。

問い5. 人生に何を求めるか。求めているにもかかわらず、まだ得られていないことはなにか。

 

参考までに、これに対し私は以下のように回答した。

 

問い1. 人付き合い,人間関係,生きることそのもの,自分自身へのコンプレックスと自己肯定感の低さ,人並みに何もできないこと,希死念慮,気分の流動性.

問い2. 日常的に自分のコンプレックスが刺激される・浮き彫りになったとき,将来のことを考えたとき,過眠/不眠時,自分は誰にも必要とされておらず、愛されてもいないのではないかと考えたとき.

問い3. 就活,他人との距離感がうまくはかれずに接してしまい全てをめちゃくちゃにしてしまったとき,自分が他者の評価の中で取るに足らない存在なのではないかと感じたとき.

問い4. 将来そのもの全般,人間関係をいつも刹那性で破滅させてしまうこと,今後一生健全な人間関係を気づくことができないのではないかという不安,“まともに”“普通に”生きることができないままこのまま生き続けて何になるのか.

問い5. 許し,救い,生きていてもいいのだと安心して自己を肯定できる自分自身,まとも・普通といわれているもの,自己肯定感,希死念慮からの解放.

 

この辺りは普段から考えていることなので、特に悩んだりすることもなく解くことができた。こののちもう何個かワークが続き、レッスン1は終了する。ここまでで少し負荷が足りないというか、消化不良だった気もしたので、レッスン2までやることにした。ちなみに、一冊のワークブックは1-2年かけて行うのが良いらしく、時間をかけて取り組むものだ。

進むことにしたレッスン2が難関だった。レッスン2の表題は「相談できる人を探しましょう」で、ワークは「ちょっとした関わりがあるのは誰(何)か」からはじまる。おそらくこのワークの狙いは、自分自身が思っている以上に他者との繋がりがあること(それが挨拶や会釈をする程度であっても、それは歴然とした関係性だ)を再確認させることだと思う。さて、続くワークは次のようなものだ。「あなたにとって,困ったときに相談できる人,いざというときに助けを求められる人には,誰がいるでしょうか。.......とにかく困ったときに少しでも何らかの手助けをしてくれそうな人を思い浮かべ,シートに外在化しましょう。」

これはかなり心に来た。簡単な悩み、例えば学校の授業でわからないところを聞くとか、そういったたぐいのものは誰にでも簡単に聞くことができる。しかし、「今死にたさが深みリティなんだけど通話していい?」だとか、「私は生来自己肯定感が低くて、その低さと他者からされる評価が噛み合わなくて結構病むんだよね〜w」だとか、相談できる人間は誰一人として思い付かない。茶化してしまったが、そういった一歩踏み込んだ仄暗さを打ち明けられる、助けを求められる人の名前は思いつかない。しかし、本書にはそんな読者の考えを見透かしたかのように、次のように書かれている。

 

「助けなんか,求められるのであれば,とっくに求めているよ」「人に助けを求められないから,困っているんじゃないか」「そもそも人は他人のことなんて助けてくれないよ。この著者は何をふざけたことを言っているの⁉︎」といった反発心を抱く人もいるかもしれません。今,私は,皆さんのこのような思いに反論はしません。それぞれの思いには,もっともな理由があるからだと思うからです。......本書で紹介するスキーマ療法(お膳立てを含む)に取り組んでいただければ,最終的には,人に助けを求めることに対する皆さんのネガティブな思いは,別の方向(多くはポジティブな方向)へと変わっていきます。ですから本書を通じて,様々なワークに粘り強く取り組んでいってください。......

 

著者があげた「」に、思わず私か⁈となった。それと、同時にこれこそが病理だなとも感じた。他人に確かな助けを求めることができないのにも関わらず、なんとなく察してほしいを匂わせた眼差しをむけてしまう悪癖である。一方で「人に助けなんて求められない」「私は孤独である」と他者を拒絶し、一方で理解を求め強いようとする。それはあまりに不健全だ。

そしてそのうえで、それを受け入れたうえで著者の読者に対する優しさというか、「ああ私って救われていいんだな」と初めて思えたというか、そこに泣いてしまってこのワークは進めることができなかった。

 

この段階はスキーマ療法にいたる前の前段階で、今後これを続ける上で予想されるしんどさは、この比ではない。それでも、自分の過去の精算をしなければならないときが来ているだろうし、いつまでも思春期のナイーヴさを保ったままの大人子供でもいられない。私がワーク1であげた生きづらさが寛解する日を願って、小さくともこのワークブックの進捗を積み重ねようと思う。